仁淀川探索 横倉山

駐車場さて、最終日はまたまた平家伝説のある横倉山を歩きます。壇ノ浦の戦いで二位尼に抱えられて入水した安徳天皇には影武者説が多々あり、その一つがこの横倉山で23歳まで過ごしたという伝説です。そのお墓「鞠ヶ奈呂陵墓」は宮内庁に「安徳天皇御料墓参考地」として指定され、よく御陵で見る宮内庁の案内板も設置されています。(ここが高知県内で唯一の宮内庁所轄地だそう)。

9:00 第三駐車場に到着。表参道である自然の森コースを歩いて山頂の横倉宮を目指します。入口の鳥居をくぐり階段を上がっていくと、9:35 杉原神社に着きます。杉の大木に囲まれた荘厳な雰囲気のあ横倉宮る神社ですね。更に30分ほど行くと、「安徳天皇行在所跡」の標識があり、参道から少し外れて行ってみますが、雑木に囲まれた狭い敷地がひっそり残っているだけでした。

林の中を進み古い石段を上がると、10:20 平知盛が亡くなった安徳天皇を祀る為建立したという横倉宮に到着です。正面から見ると普通の建物ですが横に回ると、どうも大岩の上に建てられているようで、奥に行くほど徐々に高くなっています。道も付いている事だし。せっかくなので本殿の裏まで行ってみましょう。岩をよじ登るようにして上がると、でかでかと「馬鹿試し」と書かれた看板があります。

馬鹿試しこの先、この大岩の突端に出ると足元はスッパリ落ちた崖になっており、この崖の上の突端に行くか行かないかで、バカかどうか試すというのが、その名の由来なのだとか。という事で、約2名の馬鹿が突端まで行って参りました。

横倉宮から安徳天皇御陵墓参考地へ行く途中、畝傍山展望所→と書かれた標識の先に、素敵な小道が森の中に続いています。これは行ってみないと…。10分ほど歩くと、森が開けて眺めの良い場所出ました。畝傍山展望所です。安徳天皇はここから神武天皇宮を遥拝したと伝えられてます。

畝傍山展望所展望所から御陵墓に回ってみましょう。「参考地」と言えども、なかなか立派な御陵墓です。苔むした石垣の前で外人さん3人がスマホを見ながら、何か聞きたそうにしています。言葉を聞くとどうやらフランス語のようですが、ガイドさんがスマホの地図を見ながら英語で対応します。それにしてもTシャツに短パンととってもラフな恰好。スマホの地図を頼りによくこんな山奥に入って来たなぁと感心します。安徳天皇、フランスでも有名なのでしょうか?

そうこうする内に11時も過ぎてしまいました。今日のお昼は隣町、佐川町の老舗鰻屋さんです。昨日の例もあるので、お昼の時間に間に合うように戻りましょう。再び表参道を歩きます。途中、安徳天皇の飲用水として使われていた「安徳水」の案内板があります。参道からはちょっと坂を下った所に湧き出ているそうですが、今日は先を急いでいるのでパスします。

佐川町12:00 駐車場に戻って来ました。さぁ、車に乗り込んで一路佐川町へ。今度は特に渋滞もなく、お昼に間に合いました。予め注文して頂いていたうな重が運ばれてきます。大正2年創業の老舗、完全予約制の分厚いかば焼き、代々継ぎ足されて来ただろうタレの味とあいまって、これぞうなぎ!と堪能します。

豪華うな重の後は、あの!司牡丹の酒蔵が並ぶ佐川町の街並みを散策です。佐川町は「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎の出身地でもあり、牧野博士ゆかりの建物やお土産品も並んでいます。因みに午前中歩いた横倉山は牧野博士の研究フィールドでもあったそうな。

1時間ほど散策したらいよいよ楽しかった旅も終わりです。仁淀の魅力を何とか知ってもらいたいと、至れり尽くせりの行程を組んで頂いたガイドさんと最寄り駅で別れ、バスは夕暮れの高速道路を坂出を目指してひた走ります。坂出からマリンライナーに乗り継いで岡山に戻ってビックリ!新幹線が大混雑です。そういえば、今日は3連休の最終日でした。古えの伝説の旅から、一気に現実に引き戻される帰り道です。

日のお時間
9:00 第3駐車場 -9:35 杉原神社 -10:20 横倉宮 -11:00 畝傍山展望所 -12:00 第3駐車場

 本日のお昼    佐川町 「大正軒」

 本日のお風呂    なし

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