山の一品

山道

当たり前ですが、山は山道を歩かなければ登れません。

先日、岳沢でテレビに出てしまいましたが、その時の中継レポーターだった立川談慶という噺家さんは、これが最初の山登りだったそうですが、中継後メンバーの一人に、こう話したそうです。

「山道を歩くのは良いですねぇ。皆に遅れまいと一生懸命歩いていると、借金の返済とか、
これから先仕事のスケジュールに空白がでないかとか、
何も考えずにすみます。」

確かに、平坦な山道でも油断大敵、ちょっとした木の根っこでもケガの素。
ましてや、足下が危ない所では、歩く事に神経を集中させますから、下界の心配事まで気が回りません。


緑の小道


緑あふれる山道を歩けば、今度はその景色に気持ちが動かされます。
 


漱石先生のようなえら〜いお方は、山道を歩きながら哲学的な世界に遊ばれるのでしょうが、我々凡人は、花が咲いていると云えば歓声を上げ、紅葉が見事であれば声もなく見とれ、200年もののブナの木を見上げては息を呑むこと位しか、出来ません。

でも、こうやって山道は、下界のしがらみからほんのつかの間、私たちを自由にさせてくれます。

もちろん、山に入ると気分がスッキリするのは、
下界のしがらみを忘れられるから・・
だけではありません。

樹木から出るフィトンチッドの作用は、
もうよく知られていますね。

自律神経を安定させるという効用は、
科学的にも解明されています。

フィトンチッドは、地に根ざして生きる樹木が、昆虫や微生物から葉や幹を食べられないよう、
身を守る為に自ら作り出す成分だそうで、
フィトン=植物が、チッド=殺す、、と本当はちょっとこわ〜い名前なのです。


フィトンチッドだけで良ければそのエキスを抽出した商品が出回ってますから、
街中でもどこでも誰でも山道を歩いた気分になれるはずですよね。

なのにやはり、そう簡単にはいかないのは、なぜ?
(しか〜し、銭湯のフィトンチッドサウナは、確かにうっとりするほど気持ちイイ!)


それは多分、山に入る時、
《山頂でのお楽しみ》のお弁当や、《お口の恋人》のあめやキャラメルを詰め込んだザックを背負う代わりに、
下の世界で背負っている重い荷物を、
登山口に置いてきているからかも知れません。
たった3〜4時間でも山に遊び、
さぁ、また下の世界に戻るか、、と
さっき置いた荷物を背負うと、ア〜ラ、不思議、
さっきまであんなに重たかったのに、
な〜んか軽いんですよね、これが。


フィトンチッドばかりでなく
これぞ樹木に宿る未知のエネルギーや精霊のお陰という説もありますが、

足元を見つめながらも、
森を渡る風の声を聞き、土の匂いを吸い込み、四季折々の樹々の表情を愛で、
しっかり地面の感触を確かめ、可愛い赤い実を口に含んでみたりして、
黙々と山道を歩く

この行為そのものが、力を生み出すのかも知れません。

自然の力を借りて、私たちの身体が、
心の外敵から身を守る為に、内からエネルギーを作り出す。
そう、樹木がフィトンチッドを作り出すのと同じように。

考えてみれば、樹木も人間も同じ自然の生物です。
樹木にあるのなら、人間にだってその能力はあるハズ




都会で重〜い荷物に押しつぶされそうな、アナタ
山道を歩いてみませんか。

Photo: S. Izumi


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